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第4回
書けないときは、書かないのがいちばんです」
ゲスト/添田 健一(そえだ・けんいち)さん
著作/『みずうみ』 『墨竹画扇』 『花詩箋』


「著者に訊け!」関東進出第2弾は、ライブラリーでも屈指のダウンロード頻度を誇る『みずうみ』の作者、添田健一さんです。オンラインブックレビューも長く続けておられるので、レビュアーとしての添田さんをご存じのかたも多いと思います。
読書経験の蓄積から紡ぎ出される「読み手の目」と、ご自身のサイトでも小説を発表されている「実作者の目」の双方をお持ちの著者をお迎えするのは初めて。わたし自身、わくわくする反面、ひじょうに緊張しています。
前回と同様に、事前リサーチと取材をもとに構成しております。





〈その1〉 西安(長安)への旅

Web Publishing AZUSA(以下――) 添田さんの『みずうみ』は、わたしが担当させていただいたんですが、初稿から完成度が高かったのが印象に残っています。8月に決定稿をライブラリーに掲載しましたが、9月に入ってから週に1、2回は必ずダウンロードされてますよ。

添田 え、そうなんですか。そういう話は早く教えてください。

 ――ご連絡しようと思っていたんですが、中国の西安に旅立たれるとうかがっていたもので、まあ、この場で発表してもいいか、と。ところで、西安へは取材で行ったんですか?

添田 いえ、取材というほど大袈裟なものではありません。9月4日から遅めの夏休みが取れたので、4日間で往復できる海外はないかと探してたんです。

 ――4日間ですか。けっこう候補はあったんじゃないんですか。

添田 ちょうど9月から中国への渡航にビザが不要になり、「これだ!」と決めました。中国の歴史や文学に惹かれていたので、ゆかりのある事物をこの目で見てみたくもあったものですから。

西安中心部を鐘楼より望む

 ――西安といえば、昔の長安。洛陽と双璧をなす都ですよね。

添田 漢代から唐代にかけて繁栄を誇った都です。

 ――現在の長安、いや、西安はいかがでしたか。

添田 蒸し暑いし、街は埃まみれだし、これはえらいところに来てしまったなあ、というのが第一印象でした。

 ――ほお。それでそれで?

添田 でも、初日でなれました。現地ではほんとうに多くの人の好意に助けられて、充実した楽しい旅になりました。兵馬俑や茂陵(漢の武帝の墓)や大雁塔など、見たかったものはほとんど見られました。
 さらに詳しく知りたいかたは、サイトのほうに旅行記を書いてますので、よろしかったら、そちらのほうをどうぞ。

http://members.aol.com/lachette/moonlight/diary_xian.htm

世界遺産の兵馬1号坑

玄奘三蔵法師ゆかりの大雁塔
漢の武帝の墓、茂陵

始皇帝陵「墓というよりも山です」

華清池の楊貴妃像
秦の始皇帝陵の庭園

 ――現地の土を踏んだことで、新しい構想とか、『みずうみ』の改稿の必要性など感じましたか。『みずうみ』はちょうど中国に関連した作品ですので、もしや? と。

添田 即座に新しい構想や、『みずうみ』に早急に手を入れる必要性は感じませんでした。
 でも、余韻の深い感動があったので、長い目で見れば、作品という収穫につながるかも知れません。
 なによりも、これまでは書物やインターネットでしか知らなかった地を自分の足で踏んだのは得がたい体験だったと思います。

作家としての横顔

 ――では、大ネタ『みずうみ』の話題に移るまえに、創作全般にかんする添田さんの思いや姿勢をうかがいます。そもそも小説を書くようになったきっかけは何だったんですか。

添田 こどものころから、“物語”はよく書いていました。やがて“小説”というものを意識して、本格的に書きはじめたのは21歳からです。

 ――就職活動などで忙しい時期でしょう? 学生時代はコンスタントに作品をサイトアップされていたかたが、就職活動や就職を機に創作をやめてしまうという例をよく目にします。けっこうつらかったんじゃないですか。

添田 創作は、自己実現への道だと思っています。
 でも、やめてしまう、とまではいかなくても、就職してから、かなり長い期間なにも書かないでいた時期もあったのですよ。書いても、あきらかに書き損じで実を結ばない。
 サイトを立ち上げてからは、他人に見られるということを意識して、ふたたび筆に手が取れたかな、というのが正直なところです。
 働きながら書くのは、つらいといえばつらいですが、余裕がありすぎると、かえってなにも書かないと思います。根がものすごい怠惰なので。

 ――まあ、いろいろあったけれど筆歴は今年で10年、というところですか。

添田 そうですね。10年前は『みずうみ』みたいな中国史を題材にした作品を書くとは予想もしていませんでした。
 そうした意味でも続けていることって意味がありますね。

 ――執筆は主に自宅でやってらっしゃるんですか。

添田 ええ。大学のころは学校のパソコンを借りて書いてました。だから、当時と今のソフトが違うんですよ。学生時代は一太郎、今はWORDです。

 ――この10年で、ずいぶん創作環境も変わったでしょう?

添田 インターネットの普及が大きいと思います。
 情報収集も自室で瞬時にできるようになりました。現状がさらに発展すれば、物書きにとっては理想の環境が実現すると思います。
 ただ、漢字だけはもう少し多くが表記でき、正しい漢字が出力されてほしいですね。

 ――中国を舞台にしたファンタジー作品を書いていらっしゃるオンライン作家のかたがたにとっても頭の痛い問題でしょう。日本工業規格や国語審議会や新聞社のせいで使えない字があるなんてねえ。ところで、このインタビューの第1回めのゲスト、陶広志さんもインターネットの普及を手放しでほめていましたが、資料収集の手法もずいぶん変わりましたか。

添田 変わりましたね。検索時間が短縮されたし、インターネットでなければ得られない情報もありますし。
 資料収集は、時間と資金が可能なかぎり徹底的にやりたいです。情報も一箇所から得るのではなく、複数から得ようとする方が、正確さは増すようです。当たりまえのことですけれども。
 そうした点からいうと図書館は有効ですね。関連書が並んでいるし。終日図書館にこもっているときもありますよ。

 ――自主カンヅメですな。作家がホテルなどに軟禁されて執筆を余儀なくされるのを、“鑵詰め”と言いますが、旅館に雪隠詰めになるから“館詰め”と呼ぶという説もありますよね。添田さんの場合は図書館だから“館詰め”のほうが正しいかも。すみません。どうでもいいですね、こんな豆知識は。では、取材や資料収集について、『みずうみ』の執筆経緯に沿ってうかがいます。

〈その2〉

      【ご注意】ここからはネタばれの可能性がひじょうに高いため、『みずうみ』未読のかたはご注意ください。


物語をとりまくすべてのことを可能なかぎり

 ――『みずうみ』は一風も二風も変わったファンタジーですが、着想はどういうところから得たんですか。

添田 中勘助(※)の『鳥の物語』を読んだのがきっかけのひとつです。この作品は雁、鶴など12の鳥の視点から、歴史を題材にした連作小説集なのですが、これにひかれて、はじめは半分冗談でしたが、魚の視点から、歴史にゆかりのある作品を書いたらおもしろいのではないだろうか、と考えつきました。

※小説家。東京生れ。東大卒。夏目漱石に師事、『銀の匙』の清純な詩情で認められた。また、詩人・随筆家としても知られ、常に時流を超越して独自の芸境をまもった。小説『提婆達多(デーバダッタ)』など。(1885〜1965)(『広辞苑第五版』より)


 ――なるほど。語り手が魚という発想のヒントはそこからだったんですね。

添田  でも、魚と結びつけられる歴史上の人物も事件もなかなかなく、ま、そんなもんだろう、と放置していました。ある早起きした朝、ふと屈原(※)がよいのではないかと思いつきました。それからいろいろ調べてゆきました。

※中国、戦国時代の楚の人。名は平、字は原。また、名を正則、字を霊均ともいう。楚の王族に生れ、王の側近として活躍したが妬まれて失脚、湘江のほとりをさまよい、ついに汨羅(ベキラ)に投身。憂国の情をもって歌う自伝的叙事詩「離騒」をはじめ、楚の歌謡を本とした楚辞文学を集大成した。(前343〜前277)(『広辞苑第五版』より)
また、旧暦5月5日にちまきを食べる風習は屈原の故事にはじまったと伝えられる。


 ――魚を語り手に据えるということは、一種の冒険だと思うんですよ。不安はありませんでしたか。

添田 どんな作品であれ、書くことにも読まれることにも不安はついてまわりますが、根が楽天的なので、それほど悩みませんでした。今も悩んでません。ただ、書きはじめたころには原稿用紙200枚の長さになるとは考えていませんでしたけれど。

 ――古代中国、魚の語り手、モチーフは屈原……。あえて困難に挑戦しているように見えますけど。

添田 いえ、あとでお話することになりますけれども、魚を語り手にすることで、一人称ならではの、「逃げのテクニック」も使っているのですよ。
 また、実際に舞台、というかモデルとなっている洞庭湖や君山や屈原廟が見られればよかったのですが、それは次の機会、ということで。
 調べものは、図書館でみっちりやりました。朝から閉館時間まで湖のことや、淡水魚の生態、中国の楽器、演奏、中国神話、歴史、と多岐にわたって調べてました。
 インターネットの力もそうとうに借りました。瑟(おおごと)の音はネットで視聴したのが最初だったと覚えています。僕は、プロットを作品の最後まで練ってから書くのではなく、書きながら先の展開を考えてゆくので、調査は文字どおり泥縄式でした。

参考文献のひとつ『中国の楽器』(企画・六芸社 シンフォニア刊)

 ――背景のすべてについて調べるんですか。こりゃ大変だ。さっき、取材や調査は徹底的におこなうとおっしゃっていたので、プロットを詰めてからのこととばかり思ってました。どの程度、構成を固めてから書きだしますか?

添田 思いっきり、見切り発車です(笑)。20枚以上のものならば、きっちり固めてから書いたことはありません。
 この方法に疑問を感じることはありますが、全体の六分の一も決まっていない段階で書きはじめます。書いていると、次の展開が見えてきて、おおまかな構成が決まってくるという感じです。ただ、話がゆきづまってしまうこともあるので、ひとにはおすすめできません。


一人称を考える

 ――さて、『みずうみ』は一人称で物語が進みますが、200枚の長丁場を一人称で通すのは、膂力というものが必要だと思います。そのあたり、いかがでしたか。

添田 何事にもメリットとデメリットがありますよね。作品の長短はこの際、置くとして、まず一人称によるメリットとしては、 主人公にその知識や関心がないことは書かなくても済むということでしょうか。つまり、表現はよくないかもしれませんが、ごまかしがきくということです。作者が、じぶんよりも頭のよい人物を書くには困難さがつきまといますが、語り手がそうではない場合は書きやすいのではないかと思います。『みずうみ』に関していえば、洞庭湖が時間の経過によって、大きさやかたちを大きく変える淡水湖なので、屈原の時代の洞庭湖がどのくらいの規模だったのかが、決定打が出せず、その点は、魚の目からでは規模が測りづらいということで曖昧にしています。

 ――うまい! こういうのをテクニックというんですね。ツッコミどころがあるのに、見かけ上の平仄(ひょうそく)はあっているという。ぎりぎりまで取材・調査をしているからできる割切りでしょう。では、一人称のデメリットはどういうところですか。

添田 視点がひとつなので、表現に限界があるという点です。語り手が見たことか聞いたことしか描けない。ついつい説明に流れる台詞が多くなりがちで、推敲には時間がかかりました。

 
 ――ちょっと話は脱線しますが、推敲にはどれくらいウェイトをかけていますか。

添田 最低、7回を目標にしていますが、7回目でも朱がいっぱい入ると、今まで、何をしていたんだと呆然となることがあります。ちなみに、推敲から抜けられないときは、悪夢のようです。

 ――推敲は作品の質の向上に欠かせませんが、ループにおちいることもたまにありますよね。人呼んで推敲地獄。……なんだか暗い話題になってしまいました。話を戻しましょうか。『みずうみ』では、語り手=主人公ではありません。この人が主人公だよ、と明示されていないにもかかわらず、読者はスムーズに、誰の物語かということを理解しています。かなり計算したんですか。

添田 成功しているかどうか、自分ではつかみかねていたので、そう言っていただけることを、まず、ありがたく思います。書きはじめた時点では、ストーリーがどちらに流れてゆくのかもわからないままに追っていったので、余計に成否が把握できなかったんです。探偵小説でも、主人公である超人的な探偵よりは、読者の視点に近い親しみやすい人物が語り手であることが多いので、僕の独創性はほとんどないです。ただ、作中、もっとも受難がおよんだり、転機にぶちあたる人物が読み手の目にとまりやすいのは、じぶんの読書経験からもたしかなようです。

 ――ブックレビュアーだけに、きっちり分析してますね。登場人物の造形についてはいかがですか。プロットと同じように、見切り発車ですか。

添田 こればかりは書き進めながらというわけにはゆきませんから、イメージを頭に描いてからになりますね。

 ――そのイメージとは、視覚的なものですか。

添田 視覚的なものです。

 ――なるほど。合点がいきました。衣装、装身具、髪型、相貌の描写がひじょうに具体的で、鮮やかですよね。映像で見せられたような錯覚をおぼえます。あ、そうだ。これ訊いとかなきゃ。一人称と三人称で大きく変わるのは何でしょうか。

添田 文体です。変える、というよりも、変わります。一人称であれば、語り手の性格に応じて変わるのは当然ですが、三人称であっても、視点はひとつかふたつであることが多いので、やはりその人物の性格にあわせて変わります。


〈その3〉 漢籍関連お薦めの3冊!

 ――『みずうみ』は漢籍(編集部註:平たく言うと、漢語で書かれた書物のことですな)の素養がないと書けない小説だと思います。かなり読んでらっしゃる?

添田 会社の尊敬していた先輩が中国史通、中華思想に詳しいかただったので、その影響を受けて、というのが発端です。ただ、漢籍の世界は広くて深いので、じぶんの現状では、素養があるとも呼べないくらいです。

 ――なにをおっしゃいますやら。のびのびと堂々とあの世界を描いているように感じました。漢籍の魅力はどんなところでしょう?

添田 まだまだ入門者なので、魅力を語れる資格はないのですが、簡潔で、みずみずしいところが余韻があってよいです。簡潔すぎて、もの足りなさをおぼえるときもあるけれども、あとからじわりと響くのも魅力です。

 ――若いころはよく読んだのですが、すっかり遠ざかってしまいました。また読み直してみようかな。添田さんのお話に興味を持たれたかたもいらっしゃることと思います。お薦めの漢籍または関連書があれば教えてください。

添田 『図説 漢詩の世界』(ISBN4-309-76022-8)、
    陳舜臣『中国詩人伝』(ISBN4-06-185907-2)、
    大修館書店『漢詩の事典』(ISBN4-469-03209-3)の3書なんてどうでしょう。
 どれも図や写真が多いので、入ってゆきやすいですよ。

 ――ISBNまでお付けいただき、ありがとうございます。『みずうみ』の続編などの構想はありますか。あの世界観は、どこか懐かしくて、読むたびにほっこりします。また、あの世界にひたりたいなとも思っているんですが……。

添田 まだ構想とまではゆきませんが、興味はあります。
 『みずうみ』では脇役に甘んじていたキャラクターや、物語をすっきりさせるためにあえて登場させなかった存在を含め、スピンオフでやってみるのもいいかな、と。

 ――それいい! ぜひ、お願いします。なんて聞き手が言っちゃいけませんね。では、次の話題に移るまえに、添田さんから『みずうみ』読者へのメッセージをどうぞ。

添田 えーと、『みずうみ』は小道具や舞台設定、登場人物の名前にいたるまでかなり凝っていて、謎も仕掛けてあるので、よかったらそれを探してみてください。たとえば、ヒメミコが「螺旋の意匠が施された青いかんざし」を身につけているのには、「意味がある」のです。

 ――添田さん、その「意味」をあとでわたしにこっそり教えてくださいね。


ブックレビュアーと作家の同居

 ――添田さんのもうひとつの顔、ブックレビュアーについて伺います。ネット上での書評の現状はどうなっていますか。

添田 あっ、書評にかんしては現在、自主的に長期休業中なんです。

 ――あれま。

添田 小説のほうに専念しようかな、とぼんやり考えているためです。
 まあ、でも、昔の話でよろしければ、お答えします。

 ――レビューを書くにあたって、心がけていることはありますか。

添田 じぶんへの誠実さがだいじだと思います。
 迷ったときほど、とくにそうです。

 ――なるほど。

添田  1999年から2001年くらいまで、インターネットでの個人書評はいちばん熱があったように思います。
 あくまで私見ですが、現在はややその熱も収束に向かっているかなという観があります。
 しかし決して、書評へのニーズが減衰したということではありません。

 ――落ち着いたってとこですかね。これからレビューを始めようというかたにアドバイスなどを……。

添田  かたちや周囲の声にはとらわれずに、どんどん書いていってほしい、というのが僕の意見です。もちろん、匿名で好き勝手に不用意に書く姿勢は感心しませんけれども。
 じぶんの経験に照らすと、リクルートの旧ISIZE Bookの「日替わり書評」には、かなり自由に書かせていただけたので、まずはとらわれずに書いてゆくことが肝心だと思います。書評としての質が向上してゆくのはそのあとでもよいと思います。

 ――レビュアー時代は、月にどれくらい読んでいたんですか。

添田 今でも月間10から20冊は読みます。最近は、歴史関連の本が読書の八割をしめているので、書評を前提とした読書はしていません。レビューを書いていたときもそのくらいのペースでした。

 ――レビュアーとして、この一冊をあげるなら?

添田 ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』。僕にとっては意見を差しはさむ余地もないほどに研ぎ澄まされた作品なので。

 ――添田さんの中には、レビュアーと作家が同居しているわけですが、そのことのメリット、デメリットはありますか。

添田 メリットとしては――これは、ひとから言っていただいたことですが、「書評にも書き手としてのスタンスがあらわれていて、個性的」「他人の作品にあれこれ言っているだけではなく、じぶんも作品を提示している姿勢には好感が持てる」ということでしょうか。

 
 ――内なるレビュアーと作家は相対するものでもなく、お互いの思考がいいぐあいに補う合うものなんですね。評論家と作家が組んで仕事をしても、こううまくはいかんでしょう。

添田 うーん、でも、筒井康隆さん、高橋源一郎さん、と創作と批評の両方なさっていて、それが相乗効果をあげているかたは、すごい潔い印象があるじゃないですか。それにあこがれているのです。
 いっぽう、デメリットとして考えられるのは「二兎を追うもの」になりやすいという点でしょうか。ただ、経験することはだいじなので、区切りを想定した上でいろいろやることはむしろプラスになると思います。いまの僕は、その区切りにあたっていると思いますけれども。

 ――なるほど。では、ふたたび創作についてうかがいます。


〈その4〉 簡単に書ける作品なし

 ――これまで技術面にかんすることをうかがってきましたが、今度は精神面についてお聞かせください。

添田 かまいませんが、普遍的とはいえませんよ。きわめて個人的なことですから。

 ――このあたりのことを知りたい人も多かったりするんです。では、いきますよ。

添田 いきますよって、あの……。

 ――創作に入るときは、テンションを高めるようにしてますか。

添田 うーん、それほど特別なことをしているわけではありません。キーボードの前に座って書きかけの部分を読むことから始めます。次に何を書こうとしていたかを思い出すと、勝手に指が動いてゆきます。

 ――ちょっと待ってください。メモぐらいしてるでしょう?

添田 先にもお話ししたように、構成を固めずに書くタイプですからメモはありません。あっても殴り書き程度のものが少々。

 ――せーの、で演奏を始めるフリーセッションみたいなものなんですか?

添田 ソロですけれども。

 ――ずっとそれで? いつでも書けるものなんですか。

添田 お酒が入った状況では書かないようにしています。

 ――判断力がゆるくなりますもんね。ミュージシャンというより、居合い抜きみたいなものですな。でも、書けないときもあるんでしょ?

添田 書けないときだらけです。そういうときは、無理に書かないのがいちばん、ですけれども、そのまま放置していると、ずるずるとずーっと書かなくなってしまう、というさらなる危険性も発生してきます。
 そんなじぶんに活を入れるには、同世代の創作家の活躍に接し、心がけを知ると、意欲がわいてきます。

 ――苦労する作品ほど、筆が止まるものですか。

添田 苦労を苦労と思いたくありませんが、簡単に書けた作品はありません。筆が止まる原因は、調査が足りないか、作品に向けるじぶんの意欲が少ない場合で、それは作品への苦労とは関係ないと思います。意欲が少ないのも、調査が足りないのが根本原因だと思いますが。
 長い推敲を経て、ついに決定稿が上がったときは、ひと安心ですね。やっと新しい作品に取りかかれるぞ、と。

 ――それだけ?

添田 高いワインでも呑もうか、とも。

 ――ですよね。

愛用のパソコンはNEC VALUESTAR(PentiumV)

 

Moon Light Cafe

 ――添田さんは自己サイトも運営していらっしゃいますね。その名も「Moon Light Cafe」。

添田 拙作の連作小説『ムーンライト・カフェ』から名付けました。

 ――創業1998年5月ですか……。設立の動機は何ですか。

添田 会社員生活だけではない、自己表現の場を持ちたかったからです。

 ――デザインもシンプルならコンテンツもシンプル。見た目は端正、あるいは淡泊ですね。シンプルがコンセプトですか。

添田 コンテンツを増やしてゆくとデザインから何から変えてゆかざるを得ません。収拾がつかなくなりそうだったので、開設時のスタイルを維持しています。欲張らなかったせいか、オリジナル小説も書評も日記も、まんべんなく見ていただいているようです。運営を始めてまる5年経ちますが、いまだに新しいお客様から「よいサイトですね」「楽しい時間をありがとうございました」などのメッセージをいただくことがあります。これには勇気づけられますね。

 ――なるほど。ところで、サイト運営の継続のコツなどありますか。

添田 飽きてはいけない、ということ。そして――矛盾するかもしれませんが――、いつやめてもいいという気持をもつことでしょうか。数やかたちにはとらわれないほうがよいようです。

 
 ――肩肘張らずに、ということですかね。最後に、オンライン文芸サイトを見渡してみて感じることとかありませんか。

添田 これは、自戒をこめて言うことなんですが、続けることが肝心です。
 あと、いろいろなサイトを見て、いいところを取り入れたりして工夫してみる。
 解像度や文字コード、フォントサイズ、色、人間の目線移動を考慮して、より読みやすいサイト環境を少しずつ実現させるというふうに。
 あと、サイト移転を余儀なくされたり、都合で何年も放置状態になったとしても、閉じないほうがよいと思います。

 
 ――なんだかわたしまで元気が出てきました。最後の最後に、これから小説を書いてみようと思ってらっしゃるかたへのメッセージをお願いします。

添田 ぜひぜひ。創作の森へ。

 ――お忙しいなか、ありがとうございました。

添田 こちらこそ。そして、このインタビューを読んでくださったみなさん、ありがとうございました。

「驪山です。春秋戦国風(?)馬つき」



かなり充実したインタビューになりました。作家とレビュアーの二つの顔を持つ添田さんならではのことばが新鮮でした。

 曰く「苦労を苦労と思いたくない」
 曰く「書けないときは無理に書くな」

創作者の本質をついたことばだと思います。
西安への旅が、添田さんの作品世界にどのように反映されるのか、しばらくは目が離せそうにありません。


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