編集部員が出払ってしまうと、編集長はひとりぼっち。電話とメールの応対の息抜きがてら、原稿のこと、ストーリーテリングのこと、キャラクターの立たたせ方など、いろんなネタを書き溜めています。

不定期ではありますが、編集長のぼやきとつぶやきをお届けします。万が一、創作のヒントになれば幸いです。


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●葺き残された2枚の瓦● 8月30日


 たまには日本映画でも見てやるか、とテレビの前に坐ったのが金曜日深夜。
つまらなかったらゴングを打ち鳴らしてしまうぞ、なんて偉そうな態度は物語が始まって7分で消えてしまいました。
 もうその日は眠れず、東の空が白むまで、その作品の関連ネタを漁りつづけたほどです。

 ストーリーといい配役といい音楽といい、まさに奇跡。ほぼ完璧と言っていい出来でした。“ほぼ”というのは、気になるセリフがあるからです。
 起承転結の“転”、序破急の“破”のカギとして、ベートーベンの弦楽四重奏曲第14番のLPレコードが登場するのですが、ヒロインは自信たっぷりに「げんがくよんじゅうそうきょく」と言います。

 私は即座に突っ込みを入れていました。
「香苗、それ“よんじゅうそう”やない。“しじゅうそう”や」
 この曲を物語の転機に使うほどですから、監督、脚本家ともクラシック音楽の素養があるはずです。撮影現場はもちろん、初号試写など、チェックする機会は豊富にあったにもかかわらず、げんがくよんじゅうそうきょく。
 ああ、これさえなければ……。

 しかし、贔屓の引き倒しかもしれませんが、これはわざとなのではないだろうかという疑念が最近になって湧いてまいりました!


※ご注意 ココからネタバレ!


 その名盤は、亡父のコレクションの一つでした。
 ヒロインと父親は仲が好さそうでしたし、死期を迎えた父に花嫁姿を見せてやりたいと奮闘するほど親思いの娘です。
 しかし、葬式用メッセージビデオで、父親はこのようなメッセージを述べます。

「私は、この人生でたくさんのものを手に入れることができました。家も、クルマも、服も、食事も、すべて一流のものに囲まれて生きることができました。でも、そんなことには何の価値もありません。私の人生でもっとも偉大な出来事は、愛する妻、京子と出会ったことであります。そして2人の愛する娘、翔子と香苗に(後略)」

 わざわざこんなことを言い残さなくてはならないとは、実は、父親は家庭的な男ではなかったのではないか?
 妻、二人の娘の家庭に疎外感を覚えていたのではないか?
 だから、オーディオという道楽に逃避していたのではないか?
 ヒロインは、ひとりで音楽に浸る父を遠くから窺うだけで一緒に鑑賞したことはなく、父がよく聴くレコードをこっそり引っ張り出し、「げんがくよんじゅうそうきょく」と読んでしまったのではなかろうかという妄想や疑念がふくらんでまいります。

 それらの疑念は、貧乏と裕福、充実と空虚、勤勉と怠慢という、この作品のテーマを裏付けているような気がしてきました。
 気はしてきたものの、確かめる術はありません。ミスディレクションを楽しむ物語でもありますし、強引な理由づけは野暮というもの。

 富裕層向け雑誌を編集しているプロダクションのオーナーが、「げんがくよんじゅうそう」なんて言うか? 音楽家のインタビューなど山ほどやってるはずだろ、という指摘もあろうかと思いますが、父を偲ぶときは、「げんがくよんじゅうそうきょく」と読んでいた幼い時分に戻ってしまうのかもしれません。

知恩院御影堂の棟(むね)の中央あたりに、葺き残された2枚の瓦が載っています。
究めた瞬間から崩壊が始まるのがモノの定め。瓦を葺き残すことで、御影堂は未完成であり、崩壊や陳腐化とは無縁でありたいという願いが込められているよし。
「げんがくよんじゅうそうきょく」というセリフは、この映画における2枚の瓦ではないか。懸命に作りはするものの、究めの寸止め。あえて、このセリフを言わせたのか、あるいは録り直さなかったのか。
またまた監督のミスディレクションに導かれているような気がしてまいりました。心地よい悔しさですな。

機会があれば、ぜひ、この作品をご覧になってください。決して損はさせません。
タイトルは、『鍵泥棒のメソッド』といいます。





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