

| ●2004年11月 | |||
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| ●3分間、待つのだぞ● | 11月30日 | |
30年もの間、割烹の料理長として店を切り盛りしてきた方にインタビューする機会に恵まれました。 味の匠の片鱗に触れることができて、ひじょうに昂奮したのですが、驚くべきことばを料理長が洩らしたときには、さすがにのけぞりそうになりました。 「インスタント麺はたしかにうまい」 匠はそう言ったのです。同行したフォトグラファーがわたしに目配せしてきます。なんか答えろ、と。罠ではないか、と小心者の彼は疑ったのでしょう。 わたしだって、慎重になりますよ。ああそうですね、とでも答えようものなら、「そんな舌の持主に料理の取材ができるか!」なんて逆上するのではないか……。フォトグラファーに劣らず気が小さいわたしは、固唾をのみながらことばを探しました。 こういうときに便利なことばがありまして、年長者に対しても状況によっては失礼にならない、あの問いかけ。 「その心は?」 「ときどき食いたくなるんだよ。で、食ってみる。うまいんだな、これが。しかし、飽きるんだ、すぐに。最後までおつゆを飲んだためしがない」 「味が濃いということでしょうか。塩分が多かったりとか」 「いや。一口めのインパクトとでも言うのかなあ。味が強いんだよ」 「インパクト……ですか?」 「それが、薄まることなく続く。飽きるよね。家庭料理との決定的な違いはそこだ。おかずになり、それでいて飽きない味が、おふくろの味だ。歳をとるとさ、ああいうのが理想の味じゃないかと思えてくるんだな。女房の作る味噌汁の――」 匠のしみじみ話はひとまず置くとして、これは実に示唆に富む話ではないかと帰りの電車の中で考えました。 五感に訴えるものは、インパクトの有無で価値が計られがちです。 「つかみが大切」というくらいにね。 しかし、世の中にはつかみだけのものが多すぎはしませんか。 感動を強いる小説、打ち込み多重録音ポップス、何でも爆発するアクション映画……。一作を最後まで楽しまなくても、サビの部分や予告編で事足りてしまうような、インスタント麺のスープと同じテイストをもつものばかり。 ほんとのインパクトというものは、出会いがしらのラッキーパンチではなく、ボディブローのように最終ラウンドで効いてくるようなものではないんじゃないかと思うのですが。 結果が同じなら、過程はできるだけ手短に、という効率至上主義にも一理ありますが、それは第三次産業に求めることであり、五感・思考力・記憶力を動員しなければ味わえない芸術が、ファーストフードをお手本にしてどうしますか。 がまんすることも必要なんですな。といっても、達成感と満足感を混同しないようにご注意。芸術はマラソンじゃありませんから。 あ、どこかからこんな声がきこえてきましたよ。 「お湯を入れて3分間。それもがまんじゃないのか」、と。 そう言われたら、返すことばはありません。3分間のがまんで、インスタント麺が至上の味覚に感じられれば、それはそれで人それぞれ。 それにしても、「インスタント麺はたしかにうまい」と喝破した味の匠の境地まで行き着くことはできるのでしょうか。 お袋の味より焼き鳥、串カツ! なんて言っているうちは無理でしょうな。やっぱり。 |
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